大学病院で救命科看護師をしていましたが退職し精神科病院に初入院。その後、転職し働いていましたが閉鎖病棟(精神科救急)保護室&スーパー救急モニター個室に入院、慢性期総合内科への異動を経験し、救命の現場に戻ってきました。この大切な日々をもう私から手放したりはしない…!

瀉血/OD/リスカアムカレグカ/ときどき摂食風味
信頼する主治医さんの専門は薬物依存(主に違法薬物)と司法精神医療。一時ダニエル(女医)が主治医でした→転院しました。現在の主治医はハルちゃん♪
誰のための精神医療…?

私は私がプシコだから精神医療に求めるものが多くなってしまうのかな、患者目線になってしまうのかな。

私の受け持ちが精神科にコンサルテーションかかりましてお話ししたんですけれど…すごいね、モヤモヤしてしまって。

 

これから書くのは過去のお話から考えたこと。私とこの精神科医が現職場に来る前にともに関わっていた出来事…

私は退院後のことだから知らなくて、知ったのは今日なのですが

 

周りが本人のためを思って本人の人生を決めていた。ともすればそこに本人の意思なんてなくて、まわりがただただ事を進めていた。本人は間違いなく当時者という渦の中に取り残されていた。言うなれば、台風の目の中に落とされた感じ。

退院後、施設の利用には精神障害であることが必要だという理由から、診断書をもらって行った。その人は“精神障害者”となった。

本人は、精神障害者になってまで退職して施設に行きたかったのだろうか?退職、障害者となること…受け入れられていたのだろうか。この道を選択するにしても、もっと時間が必要だったのではないだろうか。家族や医療者が本人のためを思ってと押しつけ事を進めていたら、相談できる人が誰もいない… 退院後数ヶ月で今度は線路に飛び込み、亡くなった。

その結果を見て『やはり彼は精神障害者だった』と言うことは簡単。でも本当にそうだろうか?その人を死に追いやったのは、その人の中に在る精神症状ではなく、その後の家族や医療や社会のスティグマ、それに伴う自己劣等感ではなかろうか。受け入れられない“精神障害”を周りが与えたからじゃないだろうか。他でもなく医療がその人を殺したのではなかろうか?本来その人を救うはずの立場に立つべき医療が。

 

そしてそれを教訓に医師は安全牌を取る。 自殺未遂の患者に対してのコンサルテーションでは『入院継続はリスクが高い、身体症状が落ち着き次第(かかりつけ精神医療機関で対応可能なレベル)、早急に退院しその日のうちにかかりつけ病院の受診を指示すべき、入院医療の必要性についてはかかりつけが再評価するだろう 主治医がいなくても代行医に任せればよい、早急に当院退院へ…』この方針を取っていると話されたの。

それってどうなのだろう、確かにうちは精神科の入院設備を持っていない。でも、あからさまなリスク回避だ。患者を診ることより保身に走っていると私はそう嫌悪したの。“死なせない”ためだけを考え、患者を混乱に陥れはしないだろうか。 病院は安全かもしれない、リスクヘッジとしてはそれが正解かもしれない、かかりつけが責任を持つのは当たり前かもしれない。社会的に攻める人は誰もいないだろう。でも、それってどうなんだろう

 

医療は患者にとって影響が大きくて、人生を簡単に左右してしまうこと、やっぱり忘れないでいたい。 診断名が付くことの、ついてしまうことの恐ろしさ。私は幸いなことに診断名を伝えないでほしいと主治医に言って理解してもらえているけれど。

でもね、退職した某病院ではそんなことを知らないから、主治医の書いた診断書の診断名を私に伝えてきたの。それは主治医と私で相談したもので、何と書かれているのかわかってはいたし、診断基準を満たしているとかそんなことは関係なく書くと主治医とお話ししていたから良かったけど、でもそれでも言われて衝撃を受けたもの。

 

医療者として患者に寄り添う時、告知される時の患者や家族に寄り添いたい、ゆらぎを見逃さずに支えたい。

そして、看護師としてせめて、本人の気持ちに寄り添っていきたいとそう思ったよ

 

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19:43  comments(0)
ACLS-EP

さて、志高くACLS-EPを受けてきました。笑

EPは後半のディスカッションが主。ACLSサーベイは習得していることが前提です。

周りはみーんな当たり前にドクター。しかも、循内のドクターが専門医試験の更新に必要だからと来ていたり…そんな中同じ土俵で戦えるわけがなく。初っ端の筆記で落ちました。50問中41問以上で合格のところ40問正解。はぁ〜こうして1点に泣くのです(>_<)

 

とりあえず、皆と同じように実技試験がスタート。BLSのテストをし、気道管理のテストをし、メガコードのテストをし。ここまでぜーんぶ受かってようやくACLSの更新が終わるのですね(ここからがEP)

メガコードは1回で受かるんだよなぁ〜ここは半分以上2回目やる人もいたのになぁ−。

 

午後からはEPコースにお邪魔しました←

そしてEPコースもなんとかかんとか食らいついて終了し………なんと追試もなく認定をいただけました。

不安だったので、あの私筆記が追試なのですが…と言ったら勘違いあったでしょ?と。呼吸のやつは完全に勘違いでしたけれど、1点で泣いたのですけれど(それが出来ていれば合格)そういう問題??笑 聞くと、メガコードで出来ていたのでOKみたいでした。メガコードは私だけ終了後に呼ばれましたが、それが筆記の追試を兼ねた口頭試問だったようです。

 

なにはともあれ、ACLSの更新とEP取得が出来ました。

当然ながら筆記の追試になった先生もいらっしゃいます。初っ端テストだからね…忘れてるよね…。彼も合格しますように!

 

最後に少し、自分を褒めても良いですか??笑

周り皆ドクターの中でやりきりました、私。

今日は朝の早起きから1日頑張りました(^^)

 

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19:51  comments(0)
言葉の重み

私の時代に出生前診断があったら、私は絶対堕ろす。

 

こんばんは。

今日は訪問入浴のバイトに行ってきました。そこで言われた言葉です。

 

私は大学の卒論でNIPTの知識と受検意欲との関連について調べさせていただきました。

そこで、知識が少ない人はとりあえず受けるなどと安易に受検を決めている現実があり、その結果によって短時間のうちに家族のゆらぎと胎児の命の選別が行われるのです。私はそれが怖くて、自分は出生前診断を受検することはないだろうと思っています。

私が卒論の中で行わせていただいたアンケートの中では、とても安易に受検を決める人がいる一方で、「堕ろす堕ろさないを考えたくないから受検しない」という今の私と同じような考えをする人、そして「胎児に異常があるならその異常や疾患について事前に勉強しておきたい」という意見がありました。最後の意見はとても崇高で、そのような人が増えればいいな、とそれこそ安易に考えていました。

 

でも、本日訪問に伺わせていただいたご家庭(同い年の重症心身障害者のご家族)では、意見は違いました。「障害があっても可愛いというけれど、可愛いけれどそれだけではどうしようもないんだ」と。

私は、私が大学時代に感じたことは理想を含む感想でしかないのだと思いました。

当事者の言葉はとても重いと思いました。

 

臨床において私は助産に携われませんし、小児も対象外です。ですから出生前診断についての家族のゆらぎに触れることはありません。ただ、1年目の4月に受け持ち患者さんの娘さんが「お母さん!!私まだトイレ行きたいしか聞いてないよ!もっと話したいことたくさんあるのに…私はお母さんがいないとダメなんだよ、ねぇお願い行かないで!」と言った後に『私はどうしたらいいの、ねぇどうしたらいいですか?』と言っていたのです。対象者の意思が不明な場合の家族の治療選択とそのゆらぎについては研究したいと思っていますが、やはり生命倫理はとてもとても深いです。

自分の興味ある分野が本当に興味があると再認した今日でした。

そして、当事者の言葉により研究者は自分の考えていることが理想論や机上の空論であると知るのです。現場の意見を吸い上げて行政に活かしたい、そう思った時もありますし、今もその夢は捨ててはいません。

 

やはりこの退職は私にとって必要だったのだと思うのです。

 

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