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8/17医療保護入院でした。 精神科救急病棟保護室8
そのまえに700ml瀉血+ソラナックス10T…と思っていたけど、30Tでした。
はっきり言って記憶なし。よくもまぁこの状態で受診に行ったわ…という感じです。
8/18日勤でプライマリーHさん&元プライマリーIさん♡
元プライマリーIさんに会えたのは良かった◎そしてIさんも覚えてる?って覚えて言ってくれて嬉しかったです☆
Hさんは前回入院で一緒にコンビニに行った思い出の人でしたので、プライマリーになってくれたことに安心しました、よ◎
午前中までは不穏でした。多分脱抑制。扉や窓を蹴るわ殴るわ…笑 殴ったって蹴ったって開かないし、開いたところで出ていく勇気なんてないし、なーんてわかってはいたのだけれど、ね。
午後からは出れないことに納得し、静かに過ごしておりました。まぁまだお眠なので基本寝ていましたが。
ソラナックスくんはデパスくんと違って長いので眠い眠い(˘ω˘)💤
8/19深夜でプライマリーHさん。あれ、早出なの?と聞いてしまいました。3交替って忘れていたよ><
お薬飲まないでごめんね。フェロミア飲むのが苦痛でした。日勤は副師長さんと3年目さん!
Nさんとも密に絡んだ1日。Nさんは前回入院での記憶がないのだけれど、『上腕の傷、また立派なのが4つくらい増えてるね〜』と。よく見ている!(覚えている!)と言ったら『精神舐めんな笑』と。舐めてなんていません、尊敬しています。身体もだけど、精神って辛い時は本当に辛い。だから、看護の基礎って精神にあると思うのよ。私は出来ないけれど…
8/20 ENT深夜で副師長さん。眠気覚ましの会話〜と頻回に来てくれて嬉しかったよ◎
退院本当にしたいのか?助けてほしくて来たんだろ?と言われましてね。退院はわからないけど、仕事には戻りたいと言いました。なるほど〜と。
Nさんにも前日に言われたけど、ambivalentだなぁと言われました。両価性。でも、ただただ入院して守ってもらいたかったあの頃よりはambivalentな感じになっただけ成長ではないかな。
でも、ぐっちゃぐちゃで退院。申し訳ないです…後日主治医さんには脱抑制は残るから脱抑制で怒りっぽくなっていたんじゃないかって言われました。それでも病棟Ns.さんにはご迷惑をおかけしてしまって…
そのまま内科入院をしたのですが、8/21に不安で不安でODしそうな危うさがありまして、主治医さんに連絡したのだけれど、ここで抜けたのではと思うのできっと脱抑制だったのだと思います…
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強くなりたいとそう思う人は多いはず。私もずっとそう願ってきた。
一時的にメンタルが安定して健常者の“強さ”と同じように見える状態になることもある。でもそれは副主任さんのいう“もともとそんなメンタルしかなかった”状態でしかなくてね。
私の今の状態ももしかしたら寛解するときがあるとしてその時から見たらまだまだ強さではないかもしれない。でも、私が過去に手に入れたと思って失い続けた強さと今の状態は違う。
私が精神障害者なことは事実で、健常者の強さと同じものをなんて求めても、一般人がオリンピックでメダリストになろう!というくらい無茶な話。パラリンピックというfieldがあるじゃないか。
それと同じように。私たちが目指す強さは、健常者のそれと必ずしも同じでなくてもいいのではないでしょうか。
強くありたいと思う気持ちは捨てることも忘れることもない。
でも、それを諦めてしまう日があることを受け入れることも、強さではないだろうか。
“死にたい”、“死ねたら”とおもうことがあっても、行動化しないこと。それもまた強さではないだろうか。
特に後者は健常者の“強さ”に勝る強さではないだろうか。死にたいと思った時行動化しない強さは私たちにしかわからない“生きたい”の裏返し。
今の私は、強さの定義を変えることが強さへの1歩なのではないでしょうか。
生きるのは大変。でも、私には副主任さんがいてくれるから良いのです。
生きましょう、今日も。生きるだけで充分なのです。
そう言い聞かせないと危うい儚さはまだまだ持ち合わせています
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勝手に劣等感を感じるから生きづらいのだと知っています。それでも、感じたくなくても否応なく生きづらさを感じてしまうのです。
現在4年目にして3度めの休職中。たぶん、もう職場には戻らないでしょう。
でも転職活動もしていないという宙ぶらりんな期間です。
看護師はシフト制で、もともと平日休みが多かった私は平日の休みには慣れているはずです。普段は劣等感なんて感じることはありません。でもね、休職したら途端に誰かに後ろ指を指されたようなそんな感じがしてしまうのです。
昨日は久しぶりにお仕事をしました。と言っても前回思った通り『楽だけど、私が仕事にしたいのはこの分野ではない』でした。
それでも!!!!
それでもやはり社会参加したというのは自信になりまして。昨日1日は誰に後ろ指指される(と感じる)ことなく生きることが出来ました◎
さて、心に副主任さん♡これを忘れずに私は生きてゆきます。
ってまぁまた“死にたい”なーんて思っている弱っちい私だけれど、でも、行動化もしなけりゃ行動化したいと思うこともないのです。強くなったでしょ?笑
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ずっとずっと手離す勇気が持てなかった針を約300本、主治医さんに預けてきました。預けたと言っても返却はなしでしばらくしたら破棄されます。
そう、捨てる覚悟を、ね。自分から捨てることは出来なかったから、でも手放したかったから。だから…
お薬も、デパスなりなんなりを預けまして。残りはエビリファイ、ソラナックス、マイスリー、ハルシオンのみです。
これでもまだまだ在庫はあるのですけれど、乱用薬物を減らしたことを認めてほしいのです。
薬も針も、預かってくれない人も多い中で、主治医さんはこうして突然言っても快くいいよって言ってくれるのです、ありがとうといってくれるのです。だから、救われます。
自立支援の診断書も書いてくれると。
ありがとう、ね。こんな退院直後ですが、どんなことを書かれるのでしょうか。笑
副主任さんとのあのお話は華麗にスルーされていますが、それはそれでいいのでしょう、きっと。
まだなしとも決まっていないのですが。
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俗にカショオと言われるものです。
私は大学時代に摂食障害と言われましたが、正式な診断かというと微妙で、その後の診断名にも摂食障害はありません。
でもね、今日家族でご飯に行って、これ以上食べたら無理だと思ってね。そしてお料理2種類とアルコール2種類と削ってもらったけどダメで、実家に帰って父が外出、母が入浴に行ったタイミングで吐くのです。
指吐きしかできない私が、簡単な腹筋吐きをして、すこしの指吐きをして。そんな程度です。気休め程度の嘔吐でした。でも、こうして両親の目を盗んで嘔吐しなくてはいけないことが悲しいのです。
ダニエルは食事に波があることを知っていてね。主治医さんは知りません。嘔吐していることは伝えたと思うけれど、ね。取り合ってくれません。
摂食についても、針やお薬を預けたいことも、自立支援の診断書のことも。このまま主治医さんの下にいるのならすべて解決するのに、転院しようとしているから、複雑になっています。
ねぇ、私は生きるよ。でも、とても生き辛いの…
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